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山田あきと

Akito Yamada

NZ生まれ。格闘家、シェフ、社会起業家を経て、
現在ドバイでPortgate CEOとして活動中。

1993

ニュージーランド・クライストチャーチに生まれる。両親は日本人。家では日本語、外では英語のルールで育つ。

1999

小学校入学。周りはNZの子どもばかりで日本食を知らない。母が持たせてくれたおにぎりの弁当を「何それ、気持ち悪い」と言われた。「アジア人」と呼ばれ、NZ生まれなのに外国人扱いされた。この経験から、周囲の空気を読み、波風を立てない立ち回りを身につけた。毎週土曜日は日本人補習校に通った。

2005

両親が離婚。母が朝からパートに出て家計を支える生活に。修学旅行の費用も出せなかったが、母に負担をかけたくなくて「行きたくないから」と断った。「早く稼いで母を楽にしたい」と思うようになる。

2006

合気道を始める(13歳)。

2008

高校入学。1年目は成績優秀だったが、2年目から学校に行く意味を見出せなくなり不登校気味に。公園でビジネス書を読んでいた。

2009

合気道で道場最年少の黒帯を取得(16歳)。

2009

大晦日、祖父と二人でテレビを見ていた時に山本KIDの4秒KOを目にする。一ヶ月後、総合格闘技の道場に入門。

2010

朝6時から夕方までバイト、その後練習の毎日。半年でファイトマネーをもらえるレベルに。

2010

21歳以下の南島大会・寝技の部で優勝。

2011

ある試合で相手の鼻を折る。勝っても「人を傷つけてまで勝ちたくない」と感じ、プロ格闘家を引退。師匠から学んだ「平常心」(練習を本番のように、本番を練習のように)が人生の指針になる。

2011

鉄板焼きレストランのシェフに転身。

2011

NZには琴の弦を張り替えられる職人がいなかったため、福岡に渡り修行。技術を習得してNZに持ち帰った。福岡滞在中、友人の紹介で後のPortgateメンバーとなるHana Jeavonsの家族と出会う。

2012

HanaにAPUを勧められる。「お金もないし大学に行く気もない」と断ったが、NZまで入学資料を送ってくれた。AO入試で合格。

2012

学費約500万円は祖母が「家系で誰かが大学に行く時のために」と貯めていたお金。ただし、その学費を使ったことで妹は大学進学を諦めることになった。

2012

立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部に入学(大分県別府市)。バイト代はほとんど交通費で消え、食費にも困る生活が続いた。

2012

生活が限界になり母に電話。「いつでも帰ってきていいのよ」と言われたが、「もう少し頑張りたい。ここで諦めたら、何も変わらない」と答えた。奨学金を借りて生活を続けた。

2013

経済サークルで、後のPortgate副社長となる井上昌平と出会う。

2014

マレーシアでインターン。唐揚げ店を立ち上げ、フィリピン人スタッフのマネジメントを経験。

2014

在学中に翻訳事業を始める。

2016

APU卒業。サイバーエージェントモバイル(現CAM)に新卒入社。EXILE・三代目J SOUL BROTHERSなどLDH系アーティストのモバイルサイト運営を担当。

2017

サイバーエージェントモバイルを1年で退職。

2018

Yahoo出身エンジニア・尾倉侑也氏と一般社団法人nukumoを共同設立。「人がやりたいことをできないのはお金に縛られているから」という自身の経験からくる問題意識で、モノ・スキル・食材を無料でシェアする完全招待制アプリを日本・NZで同時リリース。

2019

10月16日(世界食料デー)、フードロス活用の飲食店Trash Kitchenを別府に期間限定でオープン。

2022

起業時代からの恩人・福井直樹さんに相談。「英語ができるなら海外がいいのでは」とドバイを勧められ、渡航費も貸してくれた。

2022

知り合いゼロ、何も決めないままドバイへ。大学時代の井上昌平を誘い、「給料最初ないですけどいいですか」→「いいよ」と来てくれた。YouTube「山田あきとのドバイ日記」での発信も開始。

2023

Portgate設立。CEOとして、日本人のドバイ移住・ビジネス進出をトータルサポート。

2025

福岡で出会い、APUを勧めてくれたHana JeavonsがPortgateにジョイン。

現在

Portgate CEO。

Now

Portgate

日本人のドバイ移住・ビジネス進出サポート

YouTube

山田あきとのドバイ日記