ニュージーランド・クライストチャーチに生まれる。両親は日本人。家では日本語、外では英語のルールで育つ。
小学校入学。母が持たせてくれたおにぎりの弁当を「気持ち悪い」と言われ、いじめに遭う。NZ生まれなのに外国人扱い。この頃から周囲の空気を読む立ち回りを身につけた。
両親が離婚。母がパートで家計を支える生活に。修学旅行の費用も出せなかったが、母に負担をかけたくなくて「行きたくないから」と断った。
合気道を始める(13歳)。
高校入学。1年目は成績優秀だったが、2年目から学校に行く意味を見出せなくなり不登校気味に。公園でビジネス書を読んでいた。
合気道で道場最年少の黒帯を取得(16歳)。
大晦日、祖父と二人でテレビを見ていた時に山本KIDの4秒KOを目にする。一ヶ月後、総合格闘技の道場に入門。
朝6時から夕方までバイト、その後練習の毎日。半年でファイトマネーをもらえるレベルに。
21歳以下の南島大会・寝技の部で優勝。
ある試合で相手の鼻を折る。勝っても「人を傷つけてまで勝ちたくない」と感じ、プロ格闘家を引退。師匠から学んだ「平常心」(練習を本番のように、本番を練習のように)が人生の指針になる。
鉄板焼きレストランのシェフに転身。
琴の弦の張り替え技術を学ぶため福岡へ。滞在中、友人の紹介で後のPortgateメンバーとなるHana Jeavonsの家族と出会う。
HanaにAPUを勧められる。「お金もないし大学に行く気もない」と断ったが、NZまで入学資料を送ってくれた。AO入試で合格。
学費約500万円は祖母が「家系で誰かが大学に行く時のために」と貯めていたお金。ただし、その学費を使ったことで妹は大学進学を諦めることになった。
立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部に入学(大分県別府市)。バイト代で生活を全て賄おうとするも、食費にも困る生活が続いた。
生活が限界になり母に電話。「いつでも帰ってきていいのよ」と言われたが、「もう少し頑張りたい」と答えた。奨学金を借りて生活を続けた。
経済サークルで、後のPortgate副社長となる井上昌平と出会う。
マレーシアでインターン。唐揚げ店を立ち上げ、外国人スタッフのマネジメントを経験。
在学中に翻訳事業を始める。
APU卒業。サイバーエージェントモバイル(現CAM)に新卒入社。EXILE・三代目J SOUL BROTHERSなどLDH系アーティストのモバイルサイト運営を担当。
サイバーエージェントモバイルを1年で退職。
エンジニア・尾倉侑也氏と一般社団法人nukumoを共同設立。「やりたいことができないのはお金に縛られているから」という問題意識で、モノ・スキルを無料でシェアする招待制アプリをリリース。
10月16日(世界食料デー)、フードロス活用の飲食店Trash Kitchenを別府に期間限定でオープン。
共有アプリnukumoをクローズ。200人超のコミュニティが生まれたが、「アプリだけでは新しい経済は作れない」と判断。街づくりプロジェクト「nukumo city」に転換。
12月、共同代表の尾倉侑也にnukumoを託し退任。3年間の起業経験を経て、次の挑戦の場を模索し始める。
起業時代からの恩人・福井直樹さんに相談。「英語ができるなら海外がいいのでは」とドバイを勧められ、渡航費も貸してくれた。
2月、知り合いゼロ、何も決めないままドバイへ。ビザ、賃貸、生活関連すべて自分で手配。YouTube「山田あきとのドバイ日記」での発信も開始。
ホテルの喫煙所で話しかけるところから友達作りを開始。掲示板で見つけた通訳の仕事を通じて繋がりが広がり、生活が軌道に乗り始める。
半年後、大学時代の友人で証券会社トップセールスだった井上昌平を誘い、合流。
Portgate設立。CEOとして、日本人のドバイ移住・ビジネス進出をトータルサポート。
ビザ取得、不動産、法人設立など、ドバイ進出のワンストップ体制を構築。サポート実績が積み上がり、紹介での依頼が増え始める。
福岡で出会い、APUを勧めてくれたHana JeavonsがPortgateにジョイン。
ドバイ在住日本人100人規模の交流会「山田会」を主催。日本人コミュニティのハブとして定期開催。
ドバイ日本人学校にて小中学生向けに「アントレプレナーシップ」をテーマに講演。
Sanddune Paddle Club Dubaiと「Japan Night」を共催。約50名が参加、Red Bullなど複数企業が協賛。
Portgate CEO。30名以上のドバイ進出をサポート。YouTube動画250本以上、ドバイのリアルな生活を発信中。
